学校見学で落ち込む その②

もう2人を連れて学校見学に行くのは限界だったが、灼熱の中、改めて行く手間を考え、私は最後の学校見学に向かうために再度トライシクルを捕まえた。少し街中から離れた静かな場所にある比較的新しい学校である。最初から何となくここが良いなぁと思っていたところを、最後の見学先にせず、最初にするべきであった。が移動の段取りを考えたらこれが1番効率が良かった。しかし子供達の心は効率とは関係なかったんだった。反省。。

これまで見た中では、1番校舎もトイレも綺麗、まだ建設途中の箇所も多くある。規模も大きすぎず小さすぎず。各学年一クラスで、人数は15人前後。次女はそれでもこんなトイレ嫌だぁと言うてたが。

事務の方も感じよく、ウェルカムな雰囲気で対応もフレキシブル。当初聞いていた話だと、事務員は言う事はコロコロ変わるから要注意、との事であったが、私が出会うスタッフはみんなナイスで、スムーズに今後の話をつけられた。

4年生以降はiPadを授業で利用するのが特徴。先生はとてもフレンドリーで保護者との距離も近い。温かい雰囲気で私はやはりここがいいなと思った。時間割も確認して、2人のレベルにあった学年のクラスも見学をした。母国語フィリピン語の授業は、英語の授業に代えて貰うもしくは自習にするなど、対応をお願いしてみた。そこでも最後の最後まで行かないからね!家で家庭教師と勉強する、ママが勝手にフィリピンに連れてきたんだと怒りをぶつける長女。何が嫌なのか教えてくれないと、対応できないから教えて、と何度聞いても長女は答えなかった。トイレなのか、先生なのか、学年を下げたら良いのか。何を聞いても、長女はむっつり黙ってストライキに入った。私は半ば長女を無視して話を進めた。

 

訪れた時間が午前の授業を終えた後であったため、先生らとは話が出来たが授業見学が出来なかった。また明日見学してそのまま入学しても良いよ♪と言われたため申込書等を受け取り、申し込みはいったん保留にし、今日のところは全員で家に戻る事にした。

 

この学校にもし決めるとしたら大変なのが送迎であると日本人女性から聞いていた。フィリピンは暑いからか多くの学校のスタートが日本より早いようで、7時15分〜45分頃までに大抵の学校が朝礼を始める。そのため7時以降の朝の交通渋滞はかなり酷い。
トライシクルは満席もしくは定員オーバーのものが殆ど、乗り合いトラックは寿司詰め状態で、学生がひしめき合って乗り合いをしている。声をかけて呼び止めてもなかなか止まってくれない、1人ならまだしも私達の場合は3人であるため、かなり大変だと思うよ、、毎日の事だからストレスが溜まるよと聞いてきた。ましてやお迎えもあるのである。フィリピーノの中学生以降の子供達も自分で同じく足を探しているため、ローカルの彼らと競って負けじとトライシクルを粘り強く捕まえなければならない。親の送迎バイク、ノンヘルメットの2人3人乗りは当たり前。f:id:happywm:20160729191023j:image

こちらに長期でお住いの方は、大抵が原付バイクの大型版?バイクを購入し我が子の送迎に使っている。何故ならフィリピンでは朝の送迎に加えて昼ごはんのお届け(腐るからか?弁当を朝から持たせる事はしない)もしくは、一度自宅に連れ帰り食べさせるからである。そして夕方のお迎えと、主に母親もしくはヤヤさんと呼ばれるシッターさんが1日3回も送迎をするのは当たり前らしい。。

 

 最後の学校の先生が優しかったからか、ずっとそばにママが付いていてくれるなら良いかも、、と2人が折衷案を出してきた。出会う先生、スタッフの温かい雰囲気は子供達にも伝わっていたようだった。

 

でも学校にはママが行けと言うから行くけど、行ったとしても何も勉強もしないし、先生に呼ばれても返事もしないからねと長女💢しつこい。いや、あんたが学校行きたがってたんやないか、、

しかし私はもう長女に突っ込む元気もなくぐったりとして帰ってきた。

 

午前中は子供達を叱咤激励して何とか過ごしてきたがもう何のパワーも残っていなかった。帰宅して昼ご飯を食べようとせど、炎天下の中、またバイクと交渉して街まで出る元気もなかった。そう言えば素麺持ってきていたなと思い出し、素麺と乾燥ワカメを茹でた。

 

余談だが海外が長い時は私はまずは麺つゆを持参している。醤油より汎用性があり、だいたいがアレンジ料理がカバーできるためだ。今日の娘達に厳しくあたったのは褒められた自分でなかったが、スーツケース1つの中に厳選して持ってきた荷物の中に、素麺と麺つゆを持ってきていた自分の事は、我ながらナイスだったと思った。

 

冷凍庫がぶっ壊れているせいで、氷がなく、生ぬるい素麺とワカメを2人に食べさせた。タンパク質はない。簡易のプラスティック食器に入れたワカメと素麺が昼ご飯。飲み物は水。
戦時中の食事みたいなものを与えても、喜んでモリモリ食べている2人。そんな2人を見て、何だか私は無性に切なく悲しくなってきた。

朝からの疲れと、朝ご飯は白ご飯にふりかけしか食べてさせていな事、昼ご飯は素麺とワカメ。ここ数日タンパク質は外食で食べた油濃い肉のみ、野菜は圧倒的に不足、フルーツジュースを飲ませたくても、100パーセントのジュースに外ではなかなか出会わなず大抵が砂糖たっぷりなので飲ませたくない。他はクラッカー、コーンフレーク、パン。サプリメントを持ってき忘れた自分を恨んだ。圧倒的に栄養不足である。ビタミン不足と、外の排気ガスのせいもあるのか私の肌も心なしか荒れてきた。喉も痛くなってきた。

午前中2人に厳しくあたった事、食事がきちんとできていない事、暑い毎日で何だかしんどい事。子供は学校にも行きたがらない。何のためにフィリピンに来たんだっけか。全てが重なり、私は次第に無口になって表情が沈んで暗くなってきた。

食べ終わった後、勢いを失った私は、ソファに座る長女の隣に座り、話し始めた。もう学校はいかなくても良いよ。何でもいいよ。楽しい経験、日本とは違う経験を積めたらと思って来たんだから、そんな楽しくない経験わざわざしなくていいよ。明日行ってみたいならもう一回行ってもいいし、嫌なら辞めてもいいし。家庭教師の先生が良いならそれでもいいし、それも嫌なら毎日海に行ってもいいし、もはやもう何でも良いよと伝えた。態度が軟化しもはや腑抜け状態になっている私に、長女はポツポツと涙を流しながらやっと本音で話し始めてくれた。
学校に行っても到底授業は理解出来ない。行ってはみたいけど、とても不安なんだと。

私は8歳の時長女みたいに英語はわからなかったし(また別記事で書くが、我が子たちはそこそこ聞く英語はわかる)ここまで一緒に来ただけでもう120点満点だよ。学校でわからないのは当たり前だし、たかだか数週間ビジターするだけなんだから、日本の学校と違うところ見つけてきて、自由研究に書く位で良いと思うよ。最後の先生とかフレンドリーだったしSee you tomorrowて言ってたよ!
と話したら、長女は涙を流しながら、しかし鋭く突っ込んできた。
でもママは8歳の時海外の学校にも行かなかったでしょ?ママはオーストラリアに行く前から勉強してたし、日本にいる時から上手に話せたんでしょ?だから学校に行ってもそんなにびびらなかったでしょ?
私は慌てて、でもママ以外の他の日本人は沢山居たけど、その子達は全然話せなくて、しかも小学校より難しい高校の授業にいきなり参加してたんだよ!すごくナーバスだったろうし、大変だったと思うよ!と力説をしたが、母ちゃんとは到底共感出来ないようであった😅失敗。

心を開いて話し出した長女は、3番目に訪れた中華系の学校なら、ほかの子供達と行けるから、行きたいと言い出した。でも幼児部の空きはないしバラバラ送迎は厳しい。私が数日は少なくとも、それぞれ付いていないとだめだろうし、身体が足りないから無理だわぁ、、、
もうやっぱり学校は辞めとく、、?と聞いたら、どうやら行ってみたい、参加してみたい気持ちはあるらしい事がわかった。

となるとじゃあやっぱり最後の学校に明日行ってみる?先生優しかったし、どう?と聞くと、最後に会った先生のクラスになら行きたいと言った。私はその返事にはあまり過大な期待を抱くのは辞めて、じゃあとりあえず行ってみよう、嫌ならいつ辞めてもいいからね、と何度も伝えた。長女はそこから、急に今から明日に備えて英語の勉強をしたいと言ってきた。今日はもう家庭教師、チューターとは別れたし彼女は予定が埋まっていたから無理だよと伝えたが、慎重派の長女は、準備が不十分で明日を迎えるのが怖いらしかった。自分なりにもう少し理解してから取り組みたかったようだった。彼女のペースを無視して推し進めた事を私は謝った。また大粒の涙を長女は流しながら、ママ大好き、と呟いた😭

 

気がついたらもう日が暮れていた。この日の夕飯も何もない。素麺を繰り返すか、また鍋で米を炊く位だ。新鮮な生鮮食品を買うマーケットが開いている日でないと買い物に行けない。


ちょうど日本で帰宅した夫とFaceTimeで繋げた。夫の食べている夫が作ったらしい冷麺が、かなり眩しく見えた。何食べているの?からに始まり、具は何を乗せているの??と、フィリピンにいる我々3人は食い入るように見た。いいなぁ、、美味しそう、、豪華だねぇ、、、
くたびれ、汗で顔中テカる飢えた私の台詞に、夫が暑いんやな?食べてる?大丈夫??と心配していた。

今朝から食べたものについて、そして今日一日大変だったことを夫に話したら、ハードな滞在である事は共感してもらえた。FaceTime上に映る三女は、額の傷口の包帯はさておき、カメラ前の私に微笑みながらモリモリ食べている。良かったね、、飢えていなくてね、、三女に声をかけた。

私達はどこか外食に行く事にした。日本人の方に聞いて、近くの韓国料理を教えてもらった。

本音でママと話せ少し憑き物が取れた長女にようやく笑顔が戻ってきた。韓国料理では、キンパ(韓国風海苔巻き)、チキン、餃子なども食べられ、子供達は口にあったようで、何度もおかわりをした。久しぶりに沢山食べる子供達を見られた。野菜はやっぱり足りなかったがまともな食事が出来て嬉しかった。f:id:happywm:20160727130714p:image

アジアン万歳。2人の楽しそうな表情を見て、私はようやくホッとすることが出来た。

 

あまり欲張ってはいけない。そもそも私にとっても強烈なこの環境、子供達にとっては何倍も不安とストレスにちがいない。生きてるだけで満点。ここまで来られて120点、楽しんでくれたらもうオプション、最高。何でもいいや。そう思えたら私は少し気が楽になった。

帰宅後、シャワーに3人で入り汗を流して、3人でまた1つのベッドで眠りについた。